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2021年2月3日 公開

北海学園大学 マチブラ部コラム 超マチブラ函館編・戸井線建設用地跡

北海学園大学の地理学系サークル「マチブラ部」。主に札幌市内をブラブラ、歴史や景色、美味しいモノなど、そのエリアの魅力を紹介中。
今回の活動エリアは「函館編・戸井線建設用地跡編」です!
北海学園大学マチブラ部
twitter:@hgu_machibura
●今回の紹介担当
前半:佐藤(3年)
後半:水口(3年)
今回は2020年9月にマチブラした、函館市の旧国鉄戸井線(未成線)の一部を電動自転車で走るというマニアック(?)なコースを紹介します。
戸井線とは、大正時代に津軽海峡を防衛するために計画、建設工事が進められ、終戦時にはほぼ完成していたにも関わらず開通することのなかった幻の鉄道路線で、現在一部が一般道路に転用されています。電動自転車で一気に駆け抜けるにはちょうどよい、と、赴きました。
前半部は佐藤が紹介します。

私たちは五稜郭電停前にある無印良品で電動自転車を借りました。この自転車には通常のギアは存在せず、ロング、オート、パワーの3段階でアシスト力が上がる仕様で、小さなタイヤでも十分に力を発揮できる少々ミニマムサイズの自転車です。方向転換しようとハンドルを切るとぐんっと急な角度で曲がってしまいました。小回りのよくきく電動自転車は、函館のような入り組んだ小径の多い街をじっくり廻るのに最適な移動手段です。

私たちの最初の目的地は無論JR五稜郭駅(道なりに進むと3.3km)なのですが、まず目指したのは南西にある千代台公園でした。
江戸時代の文化年間には仙台藩陣屋、安政年間には津軽藩陣屋、箱館戦争の折には千代ヶ岱陣屋が置かれた千代台公園は、箱館戦争最後の戦闘が勃発したという歴史を背負っています。(近くに中島三郎助父子最後之地の石碑があり、彼にちなんだ中島町という地名があります)
明治を迎えてもこの土地は軍事上の要害として期待され、明治31年(1898年)に陸軍函館要塞砲兵大隊が五稜郭からこの地に移転しました。(ちなみに函館市電の千代台電停は、かつて営所前と呼ばれていました)
戦後に陸は解体、この地は千代台公園として整備され、占領期の昭和26年(1951年)には陸上競技場と野球場が建設されています。さらに市民プール・テニスコートに青少年センターが建設、園内はぎっしりと整備され、公園(park)というより「函館市営千代台競技場団地」というべき様相です。同じく駐屯地のあった札幌市の月寒公園は戦後に野球場が2つも整備されたもののそれ以外の運動施設はなく、千代台公園ほど狭隘な感じはしません。その原因は恐らく札幌には円山・中島公園など広い公園が明治から存在するためでしょう。国指定の特別史跡のため開発ができない五稜郭と、函館公園以外に大きな公園のないしわ寄せが、この公園にきているのだと感じられました。
次に私たちは教育大通に出て、北海道教育大学函館校を目指しました。大正初期に北海道函館師範学校として設立された当初から亀田八幡宮のある丘にあったためか、周囲の景観によく溶け込んでいました。近くに菓子屋があったのも印象的でした。藻岩山麓にあった教育大札幌校(現札幌市中央図書館)の周辺とどこか似ていると感じました。
ようやくJR北海道・道南いさりび鉄道共用の五稜郭駅に到着しました。駅名表示は「JR五稜郭駅」と読めるようになっており、その横にいさ鉄のロゴを掲出したという経緯が見て取れ、この駅の歩みを感じさせてくれました。
ラッキーピエロ昭和店で腹ごしらえをした私たちは、ようやく戸井線建設用地跡をなぞる旅に出ることができたのです。周囲の生活道路から浮いている遺構のコンクリート橋(昭和町四丁目11)を越え、その後は市道となっている線路用地跡をひたすらまっすぐ、強すぎる逆風の中進んでいきました。
曲がった道の多い函館でこれほどまっすぐであるということが、戦時中に建設されたことを雄弁に物語っています。しばらく東南東に走り、亀田川に架かるその名もズバリ「戸井線橋」を渡ったりしていると市道は緑道となり、跨線橋を転用した橋などを眺めながら走り抜けました。
再び市道に入ったものの、すぐに松倉川に突き当たってしまいました。少し遠回りをして橋を渡り、根崎公園の東を通る線路用地跡(函館市道高松新湊線)を走りました。交通量が少ないのに、道路の両側の丘が切り崩されているあたりがとても線路用地跡らしくて、また満足することが出来ました。
ついに海の見える場所に出ます。それからは小さな峠(?)の向こうまでまた真っ直ぐ道路が続いており、函館という古い街で「北海道らしい坂道」を見るとは思ってもいませんでした。「これほどまっすぐの道路なら国道に向いているのでは?少なくとも国道のバイパス道路になっていてもおかしくないのに。それにしては交通量が少ないな…」と違和感を覚えたのですが、とりあえず風速9.8m(函館空港)の強すぎる逆風に立ち向かうべくペダルを漕ぎ出しました。交通量の少ない理由でこの先ピンチに陥るとは、この時は思いもしなかったのです。
空港緑地高松展望広場に寄ったり、「JR戸井線函館空港駅」の存在する世界の可能性について語らったり、時に風力に負けた仲間を待ったりしつつ、旅は順調に進み、無事、志海苔館跡地にたどりついたのです。
ここには建物などはなく、土塁などのみが整備され芝生が生い茂っていたため、一見田舎の運動公園にも感じてしまったのですが、大きく息を吸いながら、灰色の津軽海峡、そして眼下の町並みを見ると、北海道の中でも古い箱館地方の歴史が重層的に感じられてきました。
その後もまっすぐ進んだ私たちですが、ついにこの市道の途絶したところに着いてしまったのです。「なるほど国道のバイパス足り得ないわけだ。なんせ行き止まりだ。」と勝手に納得したのはよいものの、引き返すのもひと苦労、まさか階段をモーター付きの電動自転車担いで下りるわけにもいかない。ならばいっそ…。
ここからの後半部は水口が紹介します。

私たちは函館共働宿泊所前に到着、その後しばらく進むと下り坂の砂利道になっており、ブレーキを握りながら一気に下ると、気持ちよく風を切ることが出来ました。坂道の途中、どうも走りづらく確認したところ、なんとパンクしていたのです。素直に押して歩いてしまうと返却時間に確実に間に合わないため、電動自転車を漕いで行くことに決めました。
あとはひたすらに走り、気づけば函館市電駒場車庫前駅が目の前にありました。そして返却先である無印良品をひとまず通り過ぎました。この先にあるアルペン函館梁川店でパンクを修理してから返した方が良いのではないかと思ったからです。しかし確認したところ「修理せずに返してください」と伝えられたため、引き返しました。(佐藤註:故障した際の弁償額がレンタル時に明示されていることからも勝手に修理して返却しない方がよいとわかりますね。貸し出す側としては自分たちの知らない修理をされるなんてちょっとした悪夢でしょう。旅館の布団を客が畳んじゃいけないようなものです。これからの旅で自分も気をつけようと思います)
結局3,000円弁償となったものの、5,000円以上の覚悟を決めていたため、むしろ安かった感がありました。皆さんも、レンタサイクルをご利用の際には、砂利道とパンクには十分ご注意ください。