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バイトがあって今がある 若原りょうさん

2026年3月16日 公開

バイトは、人生を彩る思い出になる。

旭川市を起点にローカル歌手として活動し、その後上京して全国的に知名度を上げたムード歌謡歌手、若原りょうさん。甘く柔らかな声や語り掛けるような歌い方、気さくな人柄が魅力の若原さんに、これまでの道のりと、今を形作ったアルバイト経験について伺った。

始まりは、9歳で立った旭山動物園のステージ

旭川市出身で、全国を舞台に活動するムード歌謡歌手の若原りょうさん。2027年にはデビュー25周年を迎えるベテランアーティストだが、気取らない人柄と柔らかな物腰で、取材会場も一気に和やかな空気に包まれた。若原さんが音楽に興味を持ったのは、カラオケ好きの父親の影響だと言う。
「僕が小学生だった当時の1980年代はカラオケブームの最盛期。父はさまざまな演歌のカラオケ大会に参加しては賞をもらっていました。そんな姿に影響されて演歌を口ずさむようになり、次第に自分も大会に出てみたいと思うようになったんです」
1984年、若原さんが9歳のころのこと。当時旭山動物園で開催されていた子どもカラオケ大会に出場した。自信満々で挑んだ初ステージだったが、思うような結果に恵まれず、悔しさのあまり歌唱教室に通い歌の技術を磨いていった。
「4年生で3位、5年生で2位、6年生でとうとう優勝を勝ち取ることができました。優勝賞品のキリンのぬいぐるみを受け取った時の喜びは、今でも忘れられませんね」
若原さんはその後どんどん歌にのめり込んでいった。歌唱教室にも継続して通い、中学・高校へ進学後もひたすら演歌を歌い続けていたのだと言う。そして17歳を迎えた若原さんに、更なる大舞台が待っていた。
「地元で開催された『NHKのど自慢』の予選大会に出場することになったんです。家族はもちろん、高校の友だちや先生方がみんなで応援してくれました。学生服を『改造』した一張羅を衣装として用意するために居酒屋で初めてバイトしましたが、番組側からのNGで結局着ることはできなかったです(苦笑)」

デビューを支えてくれたのは、地元の仲間とバイト先

予選を突破した若原さんは、全国大会へとコマを進めたが、結果は惜しくも準グランプリ。
「悔しかったですね。あまりにも悔しくて、それ以来一度も歌わないまま高校を卒業しました。歌の道を諦めて、その後は運送会社でトラックを運転したり、土木関係の会社に勤めたり。アルバイトを転々とするような感じで、気付けばマイクを置いてから7〜8年の年月がたっていました」
そんな若原さんに「もっと気楽に歌ってみないか」と声を掛けたのは、父親だったと言う。初めはちゅうちょしていたが、何度も説得されて、最終的にはステージに立つことを決めた。
「地元の人が参加するカラオケ大会で、たくさんの声援の中、ドキドキしながら歌ったのを覚えています。無事に歌い上げ、優勝者として表彰された時、やっぱり歌を歌いたいという気持ちが抑えられなくて。そんな僕の背中を押すように、地元の人たちも『若原りょうを歌手にする会』と称したファンクラブや後援会を作ってくれたんです」
デビュー前からファンクラブ・後援会があるという心強い状況の中、若原さんは2002年『北国そだち』でメジャーデビュー。まずは旭川市を拠点に道内各地でCDを売り歩いた。
「昼は土木会社でアルバイト、夜はCDキャンペーンと大忙しでした。たとえキャンペーンで帰宅が遅くなっても、翌朝は必ず出社するよう職場には言われていました。厳しい職場でしたが、公私共に叱咤激励してくれたからこそ仕事も歌手活動も手を抜かず、最後までやり遂げられたのだと思います」

全国へ。今だからこそ分かる、バイトの価値

CDの売り上げは1年間で1万枚を突破し、所属レコード会社のヒット奨励賞を受賞。その勢いのままムード歌謡へ転向し、若原さんは上京。活動の場は一気に全国へと広がっていった。
「それでも東京は家賃などが高くて、初めの2年くらいは歌手活動をしながら昼夜を問わず引っ越し屋のアルバイトをしていました。大変でしたが、それを乗り越えたからこそ、ちょっとしたことではへこたれない強い自分がいるんだと思います」
下積み時代を経て、今ではファンクラブも全国に拡大。一般的な会員制のものとは異なり、誰でも自由に参加できるファンコミュニティであり、各地のショーを共に作り上げるサポートチームでもあると言う。
「歌い手の僕自身もスタッフの一員として会場づくりにかかわっています。ショーの構成を考えたり、舞台監督をしたり、スタッフの宿泊先を手配したり、何でもやります。高校時代の居酒屋でのアルバイトで、宴会の場を取り仕切っていた経験が生きている気がします。アルバイトって仕事の足掛かりにもなるし、そこでの出会いが一生の宝になることもある。年齢を重ねて振り返ってみると、どれもほんとうに良い思い出で、アルバイトをしてきて良かったなと思いますよ」

若原りょうさんの思い出バイト

居酒屋店員
制服のアレンジ資金のために始めた、人生初のアルバイト。おかわり無制限の賄いと、同世代の仲間との出会いを求めて応募しました。
引っ越し作業スタッフ
歌手活動と並行しながら続けていた下積み時代のアルバイト。昼夜問わず仕事があったお陰で、東京の高い家賃もどうにか支払えていました。
運送スタッフ
コロナ禍でショーやイベントがすべて中止になった際、生活を支えてくれたアルバイト。運送の仕事をしながらファンの方との再会を待ちわびていました。

プロフィール

若原りょう
旭川市出身のムード歌謡歌手。幼いころから歌唱教室で演歌を習い、1992年に17歳で「NHKのど自慢」に出場。予選から全国大会へコマを進め準グランプリを獲得。2002年にムード歌謡に転向し、『北国そだち』でメジャーデビューを果たした。2025年12月10日に5年ぶりの最新曲『冬がたり』をリリースし、自身初の男心を歌ったラブソングが話題に。ムード歌謡ならではのしっとりとした世界観と語り掛けるような歌声が、幅広い年代の心をつかんでいる。
プロフィール:https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/wakahara/profile/

インフォメーション

●最新リリース情報
『冬がたり』C/W愛終(あいしゅう)

作詞・朝比奈京仔 作曲・徳久広司 編曲・矢田部正
■通常盤CD YZME-15332
1,300円(税込)
●イベント情報
2027年にはデビュー25周年を記念して、全国イベントやディナーショーを開催予定。

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