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バイトがあって今がある 歌手 ファンキー加藤さん

2017年2月6日 公開

バイトだって社会の一員。
経済を動かしてるんだぜって堂々と胸を張ろう!

歌手 ファンキー加藤さん
気持ちが上向きになる歌声と楽曲、そしてライブパフォーマンスで、多くのファンを魅了し続けている歌手のファンキー加藤さん。メジャーデビューまでの道のりとアルバイト経験を尋ねた。

初めてのバイト代で家族にご馳走!

明日もまた頑張ろう――。ファンキー加藤さんが繰り出すメッセージを耳にするだけで、そう思う人も多いのではないだろうか。ポジティブな楽曲のイメージと同じように、ご本人も明るく元気に、しかも一つひとつの質問に丁寧に答えてくれた。
加藤さんが音楽に目覚めたのは小学校の高学年。「僕の親父は昔アマチュアバンドを組んでいたんです。家にアコースティックギターがあったから、子ども向けの曲を一緒に弾いたのが音楽の原体験かな」
 中学校に入ったころには、日本のロックシーンに革命をもたらした「BOOWY(ボウイ)」の虜に。コピーバンドを組んで、ライブハウスやスタジオで音楽活動を始めた。が、中学生の小遣いでは、そう何度も練習やライブに取り組めなかったと苦笑いする。
「高校生になってからは、働いて給料をもらう苦労を知ってみたいと、バイトを始めました。最初の職場は母の友だちが働いていて、ツテもあったハンバーガーショップ。接客や衛生管理など、ルールに沿って働くことの大切さと大変さの両方を学んだ気がします」
時給は当時の最低賃金。けれど、1カ月働いて手にした2万円ほどの給料は「すっげぇうれしかったです! 初めてもらった給料袋をいまだに取っておいてるくらいですもん」と満面の笑みを見せる。初給料では家族に食事をごちそうしたとか。彼らしい心温まる使い道だ。
「ハンバーガーショップの次は親せきのおっちゃんの建築会社でバイトをしました。土のうを抱えて階段を上り下りしたり、かなりハードだったなぁ。頂いた給料は洋服やバイク、CDに使いましたね。当時は安室奈美恵さんがミリオンセラーを連発していたころで、100万分の1はオレが買ってるんだゾって妙な自負を抱いてたような…(笑)」

「音楽がやりたい」は、逃げ口上だった!?

加藤さんは、高校3年生のころにアンダーグラウンドで盛り上がり始めた日本語ラップに出会った。今まで聞いたことのないスタイルに一気に心を奪われ、ギターボーカルからラッパーにガラリと転向。高校卒業後にはディスカウントショップに就職し、働きながら音楽活動に取り組んでいた。
「ディスカウントショップで担当していたのは自転車売り場。けれど、来る日も来る日もパンク修理ばかりしなければならず…」
ここで言葉に詰まり、表情を曇らせた加藤さん。次に続いたのは明るいイメージとは裏腹の意外なエピソードだった。
「しばらくすると、自分は音楽がやりたいとディスカウントショップを辞めました。ただ、正直なところ、社会と対峙するのが怖くて音楽を逃げ口上にしていたんです。オレには夢があるから、今の仕事は向いていないって…。そんな後ろ向きな理由で音楽を届けても輝くはずはありませんよね。今考えると20代の前半は後悔の日々でした」
若さゆえの失敗談を包み隠さず教えてくれるところも、懐の深さがうかがえる。ディスカウントショップの退職後は、バイトを転々とするフリーターとしての日々。
「中でも長かったバイト先は今でいうところのファストファッションのようなアパレル店。僕は一着の値が張るセレクトショップでも働いたことがありますが、取り澄ました接客よりも“いらっしゃいませ〜!”と大声を出してお客さんと話すほうが性に合ってたみたい」
当時のバイト仲間とは今でも連絡を取り合っており、ライブをしょっちゅう見に来てくれるほどの間柄だとか。かつてデモCDを聞かせ、「イイネ!」と喜んでくれた顔が忘れられないと、加藤さんは懐かしそうに振り返る。

音楽を最優先させるライフスタイルに

加藤さんが音楽の道を本気で志したのは25歳のころ。フリーターを続ける自分をハッとさせ、歌手としてプロを目指そうと思わせてくれたきっかけは弟の結婚だったという。
「僕にとってはいつまでもカワイイ弟という気分だったんですが、結婚を機に家族を持ち、家まで買ったりして。対して、兄の僕は親のスネをかじるばかりのフリーター。コレは男として負けているぞ、と焦りを覚えました。で、2年で芽が出なかったら音楽をスッパリあきらめようと決め、本気モードにスイッチを入れたんです」
その言葉通り、加藤さんは音楽を最優先させるライフスタイルに切り替えた。「明日ライブ出来る?」という急な依頼も決して断ることなく、マイクを握ったそうだ。
「バイトのシフトに急きょ穴を開ける日も多かったから、クビになっちゃうケースも…。“それでも仕方ない”と、この時期は食品製造工場とか、倉庫の仕分けとか、宅配便とか、次々とバイトを変えていました。しまいには柄じゃないのにお花屋さんまで経験しましたからね(笑)」
加藤さんの努力は実り、2006年には前身の「FUNKY MONKEY BABYS(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)」としてメジャーデビュー。自らに課した「2年で芽を出す」という約束も見事に果たした。グループ解散後の今もステージから元気を届けるスタイルは変わらずに熱い支持を受けている。
「若いころ、社会と向き合うことから目をそらしてしまった自分だからこそ、伝えたいことがあります。若者には、バイトの立場でも色んな行動に取り組んでほしい! だって、今を全力で生きる人は輝いているし、その経験は絶対に役立つから。自分も経済を動かしてるんだぜってくらいの勢いで胸を張り、将来後悔しないような働き方をしてください!」

★ファンキー加藤さんの思い出バイト★

工事現場
高校生のころに親せきのおっちゃんの建築会社でバイトしました。現場の皆さんの体力には、ただただ感服!
アパレル店
威勢良く接客するような洋服屋さんでした。自分は人と向き合う仕事が好きなんだって改めて感じた職場です。
お花屋さん
僕が最後に経験したバイト先。メジャーデビューした後に、自分のCDを持ってあいさつに行きましたね。

<プロフィール>
ファンキー加藤

1978年、東京都生まれ。2004年1月に「FUNKY MONKEY BABYS」を結成。リーダーを務める。2006年1月「そのまんま東へ」でメジャーデビュー。NHK「紅白歌合戦」に4年間連続出場。2013年6月、同グループを解散。2014年2月12日、ファンキー加藤としてソロデビュー。全国各地でライブ活動を精力的に行い、成功を収め続けている。
オフィシャルサイト
http://funkykato.com

<インフォメーション>

●最新リリース情報
Decoration Tracks」(通称:デコトラ)
■初回限定盤A[CD+DVD]
 MUCD-8078/9 6,111円(税抜)
■初回限定盤B[CD+DVD]
 MUCD-8080/1 4,000円(税抜)
■通常盤[CDのみ]
 MUCD-1362 3,000円(税抜)
●ライブ情報
「HALFWAY STAR TOUR」
3/11(土)わくわくホリデーホール(札幌市民ホール)
開場/16:30 開演/17:30
お問い合わせ/マウントアライブ
TEL 011-623-5555

バイトがあって今がある

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